親父の昔話メモφ(.. )

親父の通院途中、車中での昔話メモ

50年以上前の話だと思う
父は、祖父が海で亡くなってから(16歳くらい)長男と言うこともあり、一家を支えて働いていた。
たぶん20代の話だと思う。
増毛町のニシン場へ働きに出ていたが、その年は全くニシン漁がふるわず・・・
同僚の若い連中は、根室へ出稼ぎに行くと言い出した。4~5人くらいだった
親父一人ぐらい増えても大丈夫なはず!口利きしてやる。
と、一路「増毛」(日本海側)から道東の「根室」へ・・・(北海道横断だ)
当時は、国鉄で「夜具(自分の布団等)」持参だった。

さて、根室へ着いて雇い主へ行ったが、やはり1人親父は多い!
「せっかくだが、雇えない」とのこと。
しかし、遠くからやってきて困り果てている青年(たぶん)
ついたその日に帰るわけにも行かず。
そもそも、帰るにも片道の交通費しか無かった!
「俺も、無茶だった(^^ゞ」

仕方なく、その親方が資材屋さん(砕石?)に聞いてやる。と言ってもらったそうだ。
すると、どうも中標津でなら使ってくれそうな会社がある。
どこへも行く当てが無い親父は、二つ返事で「お願いします!」

資材屋?が迎えに来るので、乗っていけ。

中標津に到着、会社は「コワリ建設?組?」とか言う会社で。
親方は、兄弟3人だったかで(同じ名字)経営していた。
親父は、社長らしき人に事情を説明。
「ドカタの経験は?」「うちは、海の仕事堤防や、道路工事をしている」
「どっちが得意だ?」
親父は「どっちと言うことも無い、使ってくれるだけでありがたい。経験は人並みです」
そこへ、堤防工事担当の兄か弟か?
とりあえず、明日はそっちの現場へ行け。
宿舎へ案内され自分の夜具をほどき、寝たらしい。

翌朝、現場へ・・・ほとんど誰もいなかったらしい。
親方が言うには 、堤防を作るので、50mで杭を打ってあるから、丁張りをかけとけ、後で来る」と後いろいろ説明があったらしいのだが、
スラント(勾配定規)他道具を渡されたとか。
「はて、どうしたものか?」
親父は、考えて何とか丁張りらしきものをかけたらしい。
親方「これ、おまえどうやってかけた?」
親父「杭から、云々」
親方「う~ん、ほんとに経験無いのか測量の・・・???」
(どうやら間違いでは無かったらしい、はったりもあったが)

社長「どうやって計算した?計算機というものがあるのでこれを使え。明日も頼むぞ」
「あ~、それから明日その現場に20人くらい作業員が来る。おまえが指示しろ。」
親父「えっ?あ、へい」
次の日、現場へ行ったら20人どころか、30人は居たらしい・・・(^^ゞ
親父は、手元を使い丁張りをかけて行ったとか。

その晩、社長「おまえ、酒は好きか?」「そりゃ~好きです」「こっちで一緒に飲め」
「絶対、おまえ経験有るだろ?」 「まあ、そこそこです」
それから、しばらくそこでお世話になったらしい。

帰宅してから、ネットで「中標津の建設会社」検索した。
コワリ(小割)と思ったが、該当なし。
建設業協会検索
小○土建株式会社
これだろうか?
昔は、「小○組」と言っていたらしい。
HPも有った、かなりしっかりした会社のようだ。
ほんとにここの会社なのかも不明(^^ゞ

親父も、齢80歳なので、記憶も曖昧&都合良くなっているので(^^ゞ
実際の年代が分からない。
はたして、電卓はあの時代有ったのか?
後で、親父に確認してみようと思う。