ツーリングレポート:道南の歴史と西海岸の絶景を巡るby GoogleNoteBookLM

 【ツーリング記】ハンターカブで巡る、道南・歴史の最果て。154kmで見つけた「意外な足跡」

1. 導入:日常を脱し、歴史の深淵へ

現代のライダーにとって「ツーリング」の価値とは何でしょうか。ただ風を切って走り、有名な観光地をスタンプラリーのように巡るだけでは、少し勿体ない気がします。道端に佇む名もなき碑文や遺構――それら歴史の「点」を自らの走りで繋ぎ合わせ、その土地の物語を読み解くことこそ、大人の知的好奇心を刺激する旅の醍醐味です。

今回の相棒は、ホンダ・CT125(ハンターカブ)。出発時のメーターは2280.4km、帰宅時は2434km。走行距離わずか154kmという短い旅路ですが、カブ特有の「気になったら即座に停まれる」機動力は、歴史探索において最強の武器となります。トコトコと響く単気筒エンジンの鼓動とともに、この154kmの中にどれほど濃密な時間が流れていたか、紐解いていきましょう。

2. 新選組・最強の剣士が過ごした「静かな余生」

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永倉新八居住地跡
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永倉新八居住地跡

松前藩の旧領に入り、まず訪ねたのは新選組二番組組長・永倉新八の居住地跡です。彼はもともと松前藩士の次男として江戸で生まれ、8歳で剣術を学び始めました。しかし、19歳の時に「剣術で身を立てる」という情熱を抑えきれず、藩を脱藩。その後の京都や函館での凄まじい激闘は、語るまでもありません。

驚くべきは、彼が激動の時代を経て、再びこの地へ戻ってきたという事実です。

「新選組の中においては二番組組長や撃剣師範など中核を担い、池田屋事件など中心的な役割を果たします。しかし近藤勇らと折り合わず脱退した後は、松前藩に帰参が許され、松前藩医であった杉村介庵の娘きねの婿養子としてこの地に居住していました。」

若き日に一度捨てた故郷に、晩年、杉村義衛として静かに戻り、後には現在の北海道大学で剣道部を指導していたといいます。最強と呼ばれた剣豪が、北の大地で何を思い後進を育てたのか。19歳の離反から始まった長い旅路がここで「円」を描いて閉じたことに、歴史の深みを感じずにはいられません。

3. 消えた鉄道「松前線」の記憶

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松前駅跡

ハンターカブをさらに走らせると、かつての終着駅、松前駅跡に辿り着きます。そこには「松前線のあゆみ」を記した碑文があり、鉄道が地域住民の悲願であったことが分かります。昭和28年に着工され、地域の足を支えたこの路線も、現在はモニュメントがその記憶を繋ぎ止めるのみです。

国道沿いを走っていると、突如として風景を切り裂くように巨大なコンクリートの塊が姿を現します。かつての「橋の下橋(くまのしたばし)」を支えていた橋脚の遺構です。

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ハンターカブを路肩の狭いスペースに滑り込ませ、見上げる遺構。かつてここを蒸気機関車やディーゼル車が駆け抜けていた時代、それは地域の物流と希望を運ぶ動脈でした。今は静寂の中に佇むその姿に、時代の移ろいと、かつてここに生きた人々の熱量を感じ、胸が締め付けられるような切なさを覚えます。

4. 日本の「正確な形」はここから始まった

福島町吉岡まで南下すると、台座の上から海を見つめる伊能忠敬の像が迎えてくれます。こここそが、日本地図の作成に生涯を捧げた彼が、北海道測量の第一歩を刻んだ記念すべき地です。

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伊能忠敬の像

特筆すべきは、当時55歳という、現代以上に「隠居」が当たり前だった年齢でこの過酷な挑戦を始めた彼の情熱です。そしてこの吉岡の地では、歴史ファンを唸らせるもう一つの邂逅がありました。のちに間宮海峡を発見する間宮林蔵と、伊能忠敬がここで出会い、師弟のような縁が結ばれたのです。日本の形を決定づけた二人の巨人が、まさにこの場所で交差した事実に震えます。

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碑文

「福島町吉岡は、伊能忠敬が寛政十二年(一八〇〇)、北海道に初上陸し蝦夷地測量を開始した地です。この偉業を讃え後世に伝えるため、没後二百年となることを記念し、ここに『伊能忠敬北海道測量開始記念碑』を建立するものです。」

この地から始まった正確な測量の一歩一歩が、現在の私たちの走る「道」の基礎となっているのです。

5. 北海道最南端・白神岬の傍らで見つめる境界線

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日方泊岬灯台(上ノ国町小砂子)

旅はいよいよ、北海道の最南端、白神岬のエリアへと差し掛かります。そこに立つのは、昭和46年11月に初点灯された**日方泊岬灯台(ひかたどまりみさきとうだい)**です。赤と白のコントラストが鮮やかなこの灯台は、半世紀以上にわたって、荒ぶる津軽海峡を航行する船の道標となってきました。
※これは、NotebookLMが間違っていて、写真は上ノ国町小砂子にある「日方泊岬灯台」
実際は、白神岬は通過(強風で写真は断念)

岬の展望台からスカイラインの先を眺めると、うっすらと対岸の本州が見えます。本州と北海道を分かつ青い境界線。白神岬が最南端の点であるならば、この灯台はその境界を常に監視し続ける「眼」のような存在です。

風が強く、時化ることも多いこの海域で、変わらず光を放ち続ける灯台。125ccの小さなバイクで走り抜けてきた道のりの果て、この最果ての情景を眺める達成感は、ライダーという自由な存在だからこそ得られる特権だと言えるでしょう。

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上ノ国町小砂子漁港から日方泊岬灯台

6. 結び:歴史は「道」の上に生きている

メーターが刻んだ154km。それはバイクなら数時間で走り抜けてしまう距離ですが、そこには幕末の動乱を生き抜いた剣士の執着、地域を支えた鉄路の誇り、そして日本の形を描こうとした先人の執念が、地層のように重なり合っていました。

歴史は博物館の展示ケースの中にあるのではありません。今私たちがタイヤを転がしているこの「道」の傍らに、誰かの人生を変えた「始まりの場所」や、時代の終わりを告げる「遺構」が息を潜めて眠っています。

あなたがいつも通り過ぎているその道にも、きっとまだ見ぬ物語が隠れているはずです。次の週末、ハンターカブのように身軽な相棒を連れて、あなただけの「小さな歴史」を探しに出かけてみませんか?

※写真をGoogleBookLMに入れるだけでツーリングレポートを作成してくれるのは便利。但し、多少の間違いがある・・・。
文中の写真はあとから追加してみました。
ルートはこちらです。(寒かった)

追記:昼飯の予定「ピザハウスシャトー」やってなかった。仕方ないのでセイコーマート 松前朝日店に行ってみたら、いつの間にか「ホットシェフ」が無くなってた・・・。
パンとお茶で昼飯を「伊能忠敬の像」前のベンチで寒さに耐えて食べた。